

私はもともと「物欲モンスター」でした。
高1でバイトを始めてから、少ない給料を形あるモノにすべて換える「大モノ持ち」です。
例えば好きなアーティストがいたら、その人のCDやDVDは全部集めなきゃ気が済まない。なんなら保管用も買う。
シルバーリングは足の指までぜんぶに付けても余るぐらい持っていましたし、
ニット帽にハマったら黒やグレーはもちろんカーキやバーガンディ、白、茶色、ベージュ、オレンジ、ピンク、イエロー、グリーン、ブルー、ボーダーに柄物、なんなら金や銀まで。
とことんコレクトしなきゃ気が済まない性分でした。
それが今では誰がどうみても「ミニマリスト」です(アイキャッチは自室でして、現在は画像より減ってますw)。
自分のモノはもちろん、家族や友人に頼まれたモノまで捨てることなく、すべて売ってきました。地球に申し訳ないですからね。
唯一捨てたのは「コレクション魂」くらいです。
そんな私の「極論とも言えるミニマリストの考え方」を紹介します。
もくじ
- 【極論】私はこうしてコレクターからミニマリストになった。
- 原点はこの国が地震大国だということ
- ヤフオク歴9年で1,000点以上売った
- 無くなったモノのことは考えない
- 出品したらむしろ無くなって欲しいと思う
- 中を無くしたければ外を無くす
- 100を50にすると、やがてその50が100になる
- テクノロジーの進化を味方に
- 買う(選ぶ)のがストレスになる
- 画像さえ持っていれば、それは「持っている」も同然
- 反・少数精鋭な考え方
- 売ってから買う、いや買わない
- Amazonの倉庫に預けているという感覚
- 坊主のススメ
- ミニマリズムから仕事を選ぶ
- 苦労して手に入れたお金は無駄遣いしない
- 形ないモノを買う
- 一生モノなんてない
- We Are ミニマリスト世代
- 断捨離 goes on...
- 【結論】断捨離なんて大っ嫌い!
- おわり:ミニマリストって楽しい
【極論】私はこうしてコレクターからミニマリストになった。
- 原点はこの国が地震大国だということ
- ヤフオク歴9年で1,000点以上売った
- 無くなったモノのことは考えない
- 出品したらむしろ無くなって欲しいと思う
- 中を無くしたければ外を無くす
- 100を50にすると、やがてその50が100になる
- テクノロジーの進化を味方に
- 買う(選ぶ)のがストレスになる
- 画像さえ持っていれば、それは「持っている」も同然
- 反・少数精鋭な考え方
- 売ってから買う、いや買わない
- Amazonの倉庫に預けているという感覚
- 坊主のススメ
- ミニマリズムから仕事を選ぶ
- 苦労して手に入れたお金は無駄遣いしない
- 形ないモノを買う
- 一生モノなんてない
- We Are ミニマリスト世代
- 断捨離 goes on...
- 【結論】断捨離なんて大っ嫌い!
原点はこの国が地震大国だということ
すべての始まりはこの国が地震大国だという事にあります。
その時の自分の精神的ダメージを減らしたいというのが1つ。
もう1つは、自室がもはや衣装(コレクション)部屋になっていたので別室で生活していたのですが、これ以上モノが増えると、さらにその部屋も衣装部屋にして、追加でハンガーラックや衣装ケースを購入しなければならない。
「洋服は欲しいけど衣装ケースは買いたくない」という状況だったので、ついに断捨離を行う事にしたのです。それが2011年12月15日のこと。
ヤフオク歴9年で1,000点以上売った
断捨離の方法は「ヤフオク」と「メルカリ」(当時はなかった)です。評価はそれぞれヤフオク「1035」、メルカリ「76」(2021年2月現在)。
ヤフオクに関しては評価が絶対ではないですし、100を超えた辺りからは評価の強制もしていなかったので「倍近く売ってる」かもしれません。
私のコレクションのほとんどは洋服(小物やアクセサリー含む)かCD/DVDでした。それもいわゆる「買って満足しちゃうタイプ」で多くは新品同様か極美品。
CD/DVDも最初にPCに取り込んだら後はラックで大切に保存、という状態だったので断捨離法は「売る一択」でした。
この丸9年の間で徐々に「コレクターからミニマリストに考え方がシフト」していきました。
2011年にはミニマリストという言葉自体存在してなかった?ので、そうした概念や言葉がメジャーになったことも後押ししていると思います。
無くなったモノのことは考えない
これは自分でも驚いたのですが、モノ持ちの方の多くはせっかく買ったのに、せっかく集めたのに「売るのはもったいない。」と考えるのではないでしょうか。
もしくは「持ってるって誰かに自慢したい」とか。私もそう思っていました。
出品するのって相当なエネルギーが必要ですし、決して楽しくてしょうがない!って行為ではないので出品するまでが1番迷います。
しかし、売れて発送が完了し、家の中から無くなると「もうそれっきりそのモノのことは考えなくなります。」
たまに街中やテレビでよく似たモノを見かけて「懐かしいなー」と思い出すくらいです。
出品したらむしろ無くなって欲しいと思う
私の場合は、売るならこの値段という最低ラインがあるので、出品しても1週間で無くならないことの方が多いです(1円スタートとかあまりしない)。
するとどうでしょう?
あんなに出品するかしないかで迷っていたものでさえ「早く消えてなくなれ」と思うようになります。
これも断捨離を始めるまで知らなかった感覚です。
中を無くしたければ外を無くす
普通は洋服(中)を売って、衣装ケース(外)が空いたら衣装ケースを売ると思います。
いつまでも剥き出しで洋服を置いておくと、ホコリを被ってしまい状態が悪くなってしまうので売るスピードも上がりますし、面倒くさいからこのへんでいっか!という甘えもなくなります。
何よりまた衣装ケースを買うことはありえませんから、
ぜひ試してみてください。
100を50にすると、やがてその50が100になる
膨大なモノに囲まれていた私ですが、断捨離を始めて2〜3年もすると今後絶対着ない服や本当に好きなアーティスト以外のCD/DVDはなくなり、だいぶ片付いてきました(それでも普通にモノをいっぱい持ってる人レベル)。
そもそも「ミニマリストになるぞー!おー!」とスタートした断捨離ではないので、もうここらへんでいっかとYahoo!プレミアム会員を辞めたこともありました。
しかし、今まで100あったモノを半分の50に減らすと、やがてその50が現在の100になります。
今後絶対着ない(と思う)服が増えるんですね。
この記事を書いた2019年2月の私はもはや「2」しか持っていません。そしてなんとか「1」にできないかと日々思案中です。笑
自分はまだ「ミニ・ミニマリスト」だと思っています。ここまで来ると病気ですかね。笑
テクノロジーの進化を味方に
今までは主に洋服の話でした。ここではCD/DVDや本の話をします。つまり「データ化できるモノ」です。
特にCDですが、毎回CDから取り出してデッキやPCに入れて聴くという人は今どれくらいいるのでしょう?ほとんどいないと思います。
2011年の時点の私でもそうでしたし、何よりちょっと潔癖気味の私は自分がCDを触ることで指紋が付くのさえも嫌でした。するとCDに触るのは取り込む時の1回だけなんですよね。
歌詞もネットで見られる時代ですし、「コレクション魂さえ捨ててしまえば必要なのはデータのみ」ということになります。
こうして「CDはmp3に、DVDはmp4に、本はPDF化」して外付けHDDで保存。さらにその外付けHDDを、もう1つの外付けHDDにバックアップして保存。という状態が出来上がりました。
そして今現在
- データ:外付けHDD → Googleドライブ
- PC:デスクトップ → Macbook
上記のとおり、更なるミニマル化に成功しています。笑
これもすべてテクノロジーの進化あってこそです。
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買う(選ぶ)のがストレスになる
こうしてミニマル化が進むにつれ生まれた概念に「買うのがストレスになる」があります。
もっと言ってしまえば「選ぶのすらストレスに」なります。
多くの人は買い物でストレスを発散していますよね?女性は特にその傾向が強いのでしょうか。ミニマリストになると、もはや逆です。
例えば、アウターを20着持ってる人が今季もう1着買う場合と、2着しか持っていない人がもう1着買う場合では、次の1着に懸ける意気込みが違います。
しかも50着持っていた人が2着まで減らした末の3着目なら尚更です。
絶対失敗したくないですし、失敗したら即売らなきゃいけない。余計な1着を持っている訳にはいかないからです。
するともはや「買い物はおろか、選ぶのすらもストレス」なフェーズに入ることができます。笑
これ要するに、「意思決定(決断)疲れ」ってヤツです。スティーブ・ジョブズが同じ服を着たりして、徹底的に減らしていたというアレです。
買い物は「意思決定(決断)」の連続です。
買い物する場合の意思決定数
- ①:買う or 買わない(レンタルができる商品かもしれない)
- ②:新品 or 中古(メルカリやヤフオクにあるかもしれない)
- ③:どこで買うか(ポイントやクーポンを考慮するとどうか)
- ④:いつ買うか(明日、楽天スーパーセールが始まるかもしれない)
実際はもっと複数の選択肢から決定し続けなければなりませんよね。現代は選択肢が多すぎて逆に、迷惑にすら感じます。
買い物しない場合の意思決定数
- ①:買わない
買い物しない場合の意思決定は上記のとおり1回のみです。
さらに、この「意思決定(決断)疲れ」という概念を覚えてしまった事で、「選ぶのすらもストレス」が加速するというわけです。笑
画像さえ持っていれば、それは「持っている」も同然
これが1番理解に苦しむと思いますが、「欲しいモノの画像さえ持っていれば、それは持っているも同然」という考え方です。
例えば、あるロックバンドのTシャツがカッコよくてそれが欲しいとします。
しかし私はTシャツは自分で作るので、いくらカッコよくても買うことはありません。この時代、商品に画像は付きものですよね。
はい、理解に苦しみましたか?笑
選ぶのもストレスな私ですが、画像を探す時間はそれなりに設けます。
単純にイラストやデザインなどの画像が好きなのもありますし、画像データのサイズなんてたかが知れていますから、保存した画像が1枚だろうが1万枚だろうが、そのためにハードを増やすことはないからです。
買い物は買った(手に入れた)その瞬間をピークにテンションはどんどん下がっていきます。必ずしもモノとして持っている必要はない、と私は思うのです。
同じ理屈で「写真を撮ることで売る(手放す)」こともできます。
しかし、モノとしてのコレクション魂は捨てたとはいえ、「データとしてのコレクション魂はまだ残っている」と認めざるを得ません。
反・少数精鋭な考え方
持っているモノが極限まで減ってくると「少数精鋭」な考え方が生まれると思います。例えばパンツを2本に絞ったら、その2本は高級ブランドの良いヤツにしたい、とかですね。
高級ブランドでもハサミを入れれば切れるし、しょう油をこぼせば汚れますよね。
そんなミスはもちろんしませんが、良いモノでも飽きる時は飽きるんです。逆にGUのジーパンでも飽きます。
安くても1回洗濯したら縮むとか、1年着たら溶けてなくなっちゃうとか、そんなクオリティーの時代でもありません。
買い替える時は飽きた時なんです。なので私は数年おきに飽きたら買い替えるようにしています。
そうすれば洋服と共に気持ちもリフレッシュできます。「少数精鋭」である必要はありません。
売ってから買う、いや買わない
例えば、ブーツを3足持っているとします。冬はブーツを履きたい。だけど今持ってる3足の中に今現在の自分にハマるブーツはない。
今までの私なら欲しいブーツを新たに1足買った上で要らない3足を出品していました。今ならまず要らない3足を出品するでしょう。
しかしブーツが0足になっても「選ぶ/買うのがストレス」な私ですから、新たにブーツは買わないのです。
冬はブーツを履きたい自分はまだいます。だから欲しくなったら買います。
Amazonの倉庫に預けているという感覚
今はいつでもなんでも手に入る時代です。
たとえ売り切れてしまった「初回限定盤」でもヤフオクやメルカリで手に入ります。発売日に買わなくてもです。
そうした時代のおかげで生まれたのが「Amazonの倉庫に預けている」という感覚です。どういうことかと言うと・・・
「Amazonの倉庫をタダでレンタルしている感覚でいる」ということですね。
買えないから強がってるだけに聞こえるかもしれませんが。笑
本当に必要になったら買えば良いのです。いつでもなんでも買えるのですから。
坊主のススメ
私は髪の毛も断捨離しました。笑
合わせて「美容院代」と「その時間」も断捨離できました。
ちなみに私の使っているバリカンは2003年に弟が購入したものを2020年現在も使っています(充電したままでないと使えませんが)。
ずっと坊主でいると、男性あるあるの「ハゲる心配をする時間」も訪れません。
むしろ坊主にする時間も無駄に思えて「もう生えて来ないで!」とさえ思えてきます。
ロックスターを夢見ていた少年が、今や万年坊主なのですから人って変わるものです(ちなみに、下の毛も脇毛も断捨離してます)。
ミニマリズムから仕事を選ぶ
「モノをお金に換える」+「モノを買わなくなる」と自然とお金が溜まっていきます。
私はそのお金でドッグカフェを始めようと思っていました。カフェを始めるだけのお金が自然と溜まっていたのです。
カフェには物件・什器・食器などやたらとモノが必要ですよね?やがて私の中に・・・
という考えが生まれてしまいました。
犬と一緒にいるために消去法で選んだ「カフェ」ですから、どうしてもやりたい訳ではありません(カフェなんか行かないし、食に興味すらない)。
今あるモノで仕事ができたら最高です。そうして選んだのがMacbook1つあれば出来るWebデザイナーという仕事です。
Macbookの断捨離はまだまだ先になりそうですからね。
苦労して手に入れたお金は無駄遣いしない
断捨離って本当に大変なんです。もう2度と繰り返せる自信はありません。
モノが減ってスッキリする感覚は何とも言えませんが、お金に換えられなければ頑張れなかったと思います。
今の「メルカリネイティブ世代」もさすがに、今から2,000売ることになると知ったら手が鈍るでしょう。
そんな苦労して手に入れたお金は自然と無駄遣いしようとは思わなくなるものです。
形ないモノを買う
では何も買わないのか?というとそんなことはありません。
形ないモノとはつまり「情報・知識・スキル」などです。
私は今現在はそうしたモノにだけは積極的にお金を使うようにしています。
クラウドファンディングの支援などもここに入るかもしれません。
一生モノなんてない
究極の断捨離は「一生モノ」ですよね。手放すのは悩ましいと思いますが、大丈夫です。「地球上に一生モノなんてありません。」
これからは買う時に「一生モノだから」を理由にするのは辞めましょう。
憧れのマイホーム、車や時計はステータス、良い財布を持つとお金が入ってくる・・・。「すべて幻想です、もしくは洗脳です。」
「憧れのマイカー」は、やがて完全自動運転になり、人間が自由に手動運転できる時代は終わります(自動運転に手動運転が混ざっていたら、それこそ危ないですからね)。
「高級時計はステータス」は、仕掛けた時計メーカー側が言うことであって、仕掛けられた消費者側が声高らかに言うことではありません。時間はスマホで見ましょう。
「良い財布を持つとお金が入ってくる」・・・お金とは信用/データです。そもそも財布には入りません。現金は匿名性が高く、犯罪者が使うモノです。さっさとキャッシュレスに移行しましょう。
「モノを買うとは、欠落を埋める行為」だと思います。
憧れのマイホームはマイホームに住んだことがない人にとっての憧れですし、子供の頃に買ってもらえなかったオモチャを大人になってから集める、とかよく聞きますよね。
欲しい理由は欠落感から来ているだけなので、対処はカンタンで「自分はマイホームに住んでいた」「子供の頃にそのオモチャでさんざん遊んだ」と思えばオッケイです。笑
We Are ミニマリスト世代
「所有から共有(シェア)へ」時代がミニマリストを後押ししているかのようなサービスも増えています。
上の世代は今さら変われないと思いますが、1980年代以降に生まれた先進国のいわゆる「ミレニアル世代」にミニマリストは多いと思います。
世界中が成長期の時代にそれこそ「憧れのマイホーム」のために頑張ったオジサン達がその時代の普通だったように、成熟期の現代の日本(衰退期とも言う)の若者が「それ以外のモノ」に価値を感じるのは当然の流れと言えます。
お互いその時代の普通を体現しているだけに過ぎません。
ちなみに、私の両親は未だにすぐモノ買う世代ですが、私の3つ下の弟もミニマリストです(しかも私より早くから)。
しかし、それも生まれた国が日本でなければ生まれなかった概念です。
断捨離 goes on...
この7年で何度も、断捨離はここまで!と思いました。でも今月も出品は続きます。
そして私は1つの結論に達しました。
人生が続く限り、断捨離は終わらないということです。
生きていれば考え方は変化していきます(さすがにまた物欲モンスターには戻らないと思いますが)。
今は必要だと思っているものも1年後は不必要かもしれません。テクノロジーが進化すれば更なるミニマル化も可能でしょう。
シリコンバレーのスゴい人達、よろしくお願いしますね。
【結論】断捨離なんて大っ嫌い!
ここまで書くと結局好きでやってるんでしょ?と思われるかもしれませんが、
のフローは大っ嫌いです。でも、やるしかないのです。
おわり:ミニマリストって楽しい
今回は以上です。極論ですが、「こんな考え方いかがですか?」を記事にしてみました。
「そんなに切り詰めて(いるように見える)ミニマリストって楽しいの?」
と思う方もいるかもしれませんが、楽しいですよ。
モノがある状態では想像できないのも無理はありません。ちょっと前の私がそうでしたから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m